
水戸は7月がお盆だ。 そして、我が家にとっては新盆になる。
日曜日、女たちがお迎えに行き、水曜日、皆で送りに行った。
父が帰って来た四日間…
何度か父の存在を感じた。 母も僕も。
会いたくて涙が止まらない。 この寂しさはいつまで続くんだろうな。
お墓は、いつのまにかお家の庭のように賑やかになった。
紫陽花を植え百合を飾り… 酒井ユウビには素敵で立派な墓誌を造ってもらった。
そこが父の家だとは言わないけれど、父が好きな雰囲気に変わっていくのが不思議だな。
父を送った水曜日。 7月16日は父の誕生日…
僕は夢を喰らって生きてきた。
自分なりに精一杯やってきたつもりだけど、本当の夢は叶わぬままだ。
しかし、視線を変えてみれば全ての目標や夢に足跡は残してきた気がする。
それが僕の人生だと言うのならそれでもいい。
住まいを移る意味ではなく、生き方的な意味での風来坊であるのなら素晴らしき人生だろう。
昔、そんな事を言われたような記憶があるが正確には何て言われたんだっけな…
僕を取り巻く環境は全くと言ってもいいぐらい変わった。
どうしようもない不安に押しつぶされそうになるのは当然のことか。
父を看病しながら、何度も何度も潰れそうになる心情をブログに書こうとしてはやめた。
楽しい話題を探し、看病の合い間には思いっ切り遊ぶことで心のバランスを保ってきた。
道場の仲間たちがセコンドに呼んでくれ、落ち込んだ自分に物凄い勇気と力と感動をくれた。
父と共に病と闘った約10ヶ月。
短い時間だったかもしれないが、今思えば永遠にも一瞬にも思える不思議な時間だった。
殆ど誰にも伝えていなかったけど、それを知らずとも支えてくれた人々に感謝します。
自分の人生に何が待っているのかはわからない。
今はただ流れの中に生きながら啓示を待つことに決めた。
今までの東京での生活を半分、新しい水戸での生活を半分。
そうしながら新しい人生を探していくつもりだ。
今はとにかく楽しいことを心から楽しむようにしたい。
膝を抱えて泣いていれば新たな道が開き心が晴れると言うならそうしよう。
でも、人は外に出なきゃ。 自然に接し動物に接し人々に接さないと心は止まったままだろう。
海と山。 花と自然。 格闘技と音楽。 そして、家族と友人と仲間。
自分は贅沢なバランスの中で幸せに生きている。
写真を撮るのが好き。
それは写真が趣味であった父の影響が強くあるのだろう。
幼い頃から父を見ていて、大きなカメラを扱い一瞬の風景の美を切り取る姿に憧れた。
実際には風景写真は少なく、家族の笑顔を撮り続けた一生だったと今になって思うけど。
父が残した膨大なアルバムは大切な我が家の宝だ。
どれを見ても家族が笑っていた。
これからも父と魂は一緒だ。
ファインダーを覗いた先にある風景は父も見ている風景に違いない。
ファインダー越しの家族の笑顔は、父が望む残された家族の顔だろう。
母は、亡き祖母と今でも俳句を通して会話を続けている。
僕も写真を通して父との会話は続いてゆく。 これからもずっと。
夢ってのはどんな状況でも存在するんだと知った。
叶うのが夢なのか、寝て見るのが夢なのかはわからないけど。
それでも、目標があるのならそれだけでも生きている意味があるのだろう。
以前ブログに書いた二重生活感覚や試行錯誤する新生活は終わり。
これからは、この生き方が標準となってゆく。
東京の友人たちよ、これからも変わらぬ付き合いをお願いします。
茨城の友人たちよ、これからはより深き付き合いをお願いします。