人として産まれてきて親との別れほど悲しいことはないと思っている。
子供がいる人にとっては、子供と別れることがあったらそれが一番の悲劇だろうけど。
親との別れの寂しさを子供で癒し、見送り見送られの連鎖が続くのかもね。
でも、父の闘病を見ていて思ったことがあって…
妻、もしくは夫との別れが一番寂しいことなんじゃないかなって。
いつまでも親は子と手をつなぎ散歩することはない。
いつまでも親と子はベットを共にして眠ることもない。
いつか子供はひとりでお風呂に入り、ひとりのベットに眠り…
そしていつの日か、家からも戸籍からも巣立っていく。
結局、最後に残るのは夫婦なんだよね。
俺が病床の父の身体を摩ってもなんか恥ずかしくて。
でも、母が父の身体に触れて痩せた身体を摩り続けるのは凄く自然なことで。
あぁ、その頃の気持ちをブログに書いてすぐに消したことがあったな。
下書きで残ってるんだろうけど… あの日々を思い出すのがつらい。
まぁ、夫婦は死ぬまで手を繋ぎキスをして愛を語るって話さ。
映画の話に戻す…っつーか始めるけど。
鉄の女、マーガレット・サッチャーの晩年を描いた映画。
晩年なんて言ったら今も在命されてるのに失礼か。
世間から姿を消したあとのサッチャーの姿を描いた映画。
2008年に娘の書いた回顧録で、サッチャーが認知症で苦しんでいると知られ世界に衝撃が走った。
映画は、亡くなった夫の幻覚との会話で描かれてゆく。
それに苦しみ打ち勝とうとするが、それでも夫との会話だけを楽しみにしていて…
結局、本音で会話出来るのは夫だけなんだ。
それが夫が亡くなって8年経っても。
幻覚だろうとしても。
時が解決しない悲しみと寂しさってのは存在するから。
この映画、母と二人で見に行った。
僕は内容を知っていたから、母を止めたんだけど…
「わかってる。 でも見たいんだ。」って。
母は感情が深い深い人で。
母が父と別れた事がどれだけ悲しいことか、想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
仲がいい二人だった。
父は母を決して怒らなかった。
母は父を決して責めなかった。
映画でも出てきたサッチャーの言葉、母も聞きたいんだと思う。
でも、父は病床でよく言ってたさ。
「パパの人生は本当に幸せだったよ。」
「ママに出会えて、慶嗣やリカコみたいな子供が産まれてくれて。」
「いつもありがとね。」
他にもたくさん言葉をくれたんだけど…
父の声が遠くなってくるのが何よりも悲しい。
映画を見終わって、母に言ったさ。
「大丈夫? 俺は内容分かってたけど…」
母は…
「大丈夫。
この寂しさに耐えてるのが私だけじゃないってわかっただけでも嬉しい。」
「あなたには言ってなかったけど、しょっちゅう夢にお父さんが出てくるんだよ。
楽しいんだ… 笑ったり… いろいろとね。」
もうすぐ四回目の父がいない4月30日を迎える。
もう5年祭をやる年月が流れたのか…
20120404 TOHOシネマズ内原